CK@ルワンダ

シングルマザーが綴る、ルワンダでの暮らしのこと、育児のこと、女性の生き方のことetc

東京医大の件で思うこと。個人的な経験も合わせて

みなさんは東京医大の件、どう思いましたか?

 

私は一言で言うと、
ケアの対象を抱えた瞬間お荷物になってしまう労働環境に問題があり、
そのケア担当が自動的に「家庭内の女性」となる思想が、
明確な女性差別であり著しく不当だと強く思います。

 

下記、箇条書きでまとめてみますね。

 

・衝撃的な女性差別
・それに対する人々の反応を見てると、差別を差別と認識していない人の多さに更に絶望感

 

長時間労働を前提とした社会構造が原因
・でも、「だから女性を差別してもしょうがない」はおかしい
・「そのくらい飲み込んでしなやかに生きよう」というのは一見素敵なようで、後世に負の遺産を残すことになってるし、その間すごいスピードで世界と差をつけられていく
・本件は差別を差別と認識し社会を変えていく最後に近いチャンスだと思う

 

・社会構造について。少子高齢化となり、ケアの対象を抱えた瞬間戦力外になる構造はもう無理ってことに多くの人が気づき始めてる
・女性が出産で辞めるから試験で制限していいというのは、つまり男性は24時間職場最優先前提でこき使っていいという発想。いやおかしいだろ(ここは男性の意見気になる)
・ケアの担い手は確かに必要だか、なぜそれが自動的に家庭内の女性になるのか。母性神話、赤ちゃんはママが好き、は高度経済成長時代のシステムが生んだ後付

 

・なかなか社会が変わらないのはなぜか?私は、結局企業のボードメンバーや、社会で発言力のある層において、まだまだケア負担がない人たちがマジョリティだからだと思う
・育児にしろ、介護にしろ、自分の病気にしろ複数でお互い支え合える仕組みがある方が機能的だし、そこに性別で役割を固定化するのが合理的でもなくなってきてるし、子どもが病気なのでにしろ、不妊治療でにしろ、ステップアップのための休暇にしろ、自分今働きまくれるしまくりたいんですにしろ、それぞれがフラットに認められる社会が、本当に豊かな社会だと思う。

・ピンとこない方はおそらく、物理的ケアの対象を抱えたことがない方か、あっても強運×類まれなるご自身の資質及び努力でやってこれてる方かと思いますが、多くの人はそうでないということも知っていてくれるともっと寛容な社会になると思います。(ケア負担を他人に丸投げしているからこそ自分が自己実現に全力投球できているということに気付いてすらいない人は論外)

・産まなきゃ生産性がない、一方で産むリスクがあるから点数下げる。どうしてほしいん?産む機械ってやつですかね、女性蔑視の極み
・生産性発言をしている女性政治家ですが、彼女は男性が男性の立場で言いにくいことを痛快に発言しまくって出世していったという社会のからくりに気付きましょう

 

ちなみに。
・アフリカに出ていく日本人には不思議と女性が多いですね、と時々聞くが、日本社会でのやりづらさが女性にとっての方が大きいから特に不思議ではない

 

以下、私個人の事となりますが、そこからも書いてみます。

 

私は三人の男兄弟と一人の妹と育てられ、
大学については「女の子だからそこ現役なら(浪人しなくて)いいんじゃない」と全く悪気なく父に言われて
(本当に悪い人じゃないというか私が知る中でぶっちぎりでいい人)
おや?と思った以外は、
特に男女差を感じることなく大学卒業、大企業入社、ときました。

 

2年目に妊娠、その後シングルマザーとして復帰してから初めて社会の構造に気付きました。
先輩たちはベテランになってから子どもを生んでるか、
育児の担い手を他に確保して長時間労働してるか。
会社もそれを推奨。
まだまだ今みたいに脱長時間になる前。6年前です。
ワーママ上司のアドバイスは、「寝るな、土日も預けろ」でした。
これは上司としては私への思いやりから来ていた言葉です。
私もそれこそ「しなやかに頑張ろう」と歯を食いしばって頑張りました。
とにかく結果を出さないと、自分は会社や社会のお荷物ではないと証明したい、と2歳児を抱えつつ、
毎日3時に起きて年1億のノルマを追いかけましたが、
睡眠薬なしで眠れなくなり1年で異動しました。
水泳を7年、バレーボールを10年続けてきたし、
当時は27、28歳と若く体力もありましたが、それでも限界でした。
まぁこの変に真面目な性分と、頑張り方、その他諸々重なって上手く行かなかったんだと思います。

 

一度しかない幼児期間、いかに預けるか、しか考えてなかったことが情けなく申し訳ない。

 

1年しか続けられなかったけど、むしろ1年で気づけて良かった。
「3時に起きて両立!」なんてロールモデルになることは後世にとって害だから。

 

これまで自分がいかに恵まれた境遇、それを前提とした努力で来れていたかにも気づける良い機会でした。と言えるのも、どん底で、助けてくれた方々がいたからですね。

 

一度しかない人生、自分のやりたいようにやろうと思いました。
大切な人を大切にして暮らしたいと思いました。
今はそれに近づけてると思います。